ごはんだけの日
我が家は毎月1日の夜、すなわち、月始めの夕飯は「ごはん」だけの日となっている。 オカズなしで、当然味噌汁もなく、お茶もない。「白いごはんだけ」しか食べられない日となている。ただし、のどをつまらせるといけないので、水道水は食卓にいっしょにのっている。
一見すると、ひじょうにサミシイ風景の食卓である。
この「ごはんだけの日」をすっかり忘れていると悲惨である。お腹をすかして、今日はなんのオカズかな?などと楽しみにしていると、衝撃が走る。
しまった、今日はごはんだけの日だった!昼飯をもっと食っときゃよかった!と後悔することになる。
この1日を「ごはんだけの日」に決めたのは当の本人、私なのであるが、1日にしたのはチョット失敗だったかもしれない。 5月の1日は娘の誕生日のため、相当悲しい?バースデーパーティとなる。
お正月は普通の家庭はオセチだろうが、我が家はごはんだけとなってしまう。
別に月末でもよかったのだが、何も知らない人にこの風景を見られると、給料まだでてないのかしら?とでも思われるのではないか?と一瞬思い、月の始めの日にしよう!となったのである。 良く考えると、月末には普通はもう給料がでているし、うちがサラリーマン家庭ではないのは皆知っている。
また、たとえ食事時に人が来たとしても、玄関に食卓があるわけではないのであるから、わざわ台所まで上がって来て、食事の内容をチェックする人はいない。
まあ、一度決めてしまったからには仕方ないか!とは思っているが、娘の誕生日はちょっとずるをし、明日はごはんだけの日になっちゃうから、今日をごはんの日にしとこう!と女房が勝手に日にちを繰り上げて、前日にごはんだけの日を済ませてしまったりしているのだ。
また、お正月も悲しすぎるので、ごはんだけを朝食に変え、ごはんではなく、「おもち」に変えている。
もろん、海苔も醤油もなしという風にはしていおるが...。
勝手に繰り上げされるのはしゃくだが、子供の誕生日のこともあるし、元々1日じゃなければダメだってこともないし、何よりも食事を仕切るのは女房のため、こちらは何も口出しはできない。
そもそも何でこの様な日が我が家で制定されたかというと、いままで子供達を甘やかせすぎたと思えるからである。
今の子供達は恵まれすぎていて、欲しいものは何でも手に入る。おもちゃでもお菓子でも何でも、今までいろいろなものを買い与えすぎたような気がする。
今の子供は恵まれすぎ...。は我々が育ってきた過程で、いろいろな人達によく言われてきた言葉である。
食べ物のことだけとっても、昔は食べ物もなく、毎日おなかを空かしていた。
おいもが主食で白いごはんなんて普通じゃたべられなかった。
食べるものがなかったから、好き嫌いなんてものはなく、イナゴだってご馳走と思えるんだ。
まして、戦争の最前線で戦ってた人達の話などはこんなものではない。 時代や環境はさまざまであるが、バナナは病気の時しか食べられなかった、とか、我々の時代はバナナじゃなくメロンだとかの議論は幸せな部類であろう。
今でも結構年配の方と接する機会がある私は「昔」の話をお聞きする機会がたくさんある。
ものの大事さを父からも良く聞かされて育ったはずの私であるが、知らず知らずの間に子供達の前でも食事の文句や好き嫌いを言っていた。
そんな親の姿を見て育った子供達は、これはちょっと甘いからやだ、とかこれはあきた...とか贅沢なことを言いはじめているではないか。
おもちゃも見ていると親が欲しいということも手伝って、次から次へと買ってあげた結果、すぐにあきて使わなくなってしまったり...。ということがあったこともあり、「このままではイカン!」となったわけである。
で、なんで「ごはんだけ」なのかとういと、世の中には食事もろくに食べれずに、おもちゃはもちろん、洋服も寝るところもない子供達がたくさんいることをうちの子供達に理解させ、せめて月に一度は、「ごはんだけの日」にして、お金やもののありがたみを教えるという日にしたのである。
実は、もともと、恵まれない子供達の里親みたいな?フォスタープランというものに何年も前にから入っていて、毎月5千円の教育費等の寄付をおこなっていたのであるが、ちょうど面倒を見ていた子供が学校を卒業したため、次の新しい里子にかわったばかりであったのである。
そこで、このほうが子供にとってはわかりやすいので、月一回おかずをガマンして、そのガマンしたお金を困っている子供達に寄付するんだよ。ということになったのである。
これを始めたのが子供が幼稚園の頃。我家の子供達は当時は月一回のごはんの日を結構楽しみにしているみたいである。
「ねえ、今日何の日だか知ってる?」と下の子はニヤニヤしながら聞いて来たり、「今日は特別にごはんとお茶も飲んでいいことにしようか!」って誘ってみても、「水じゃなきゃだめ!」とかニヤニヤしていってみたり...。
ちょっとしたゲーム感覚みたいだったのかもしれない。
念のため毎月「なんで今日はごはんだけなんだっけ?」って子供に聞き、本来の趣旨を忘れていないかをチェックしているが、聞かれればしっかり答えているので、ものの大切さを少しはわかってもらえているのではと勝手に親は思っていた次第である。
あれからもう15年以上の月日が流れている。
子供の反抗期とかの時期などは、いろいろと大変な事もあったが、今では文句もいわなくなり、ごはんだけの日は続いている。
まぁ、月一回くらいは、ものの大切さを実感し、自分を戒めるのもいいかなと思っている。